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四代目 市川 荒五郎(よだいめ いちかわ あらごろう、グレゴリオ暦 1861年4月15日 - 1930年5月17日)は、日本の俳優(歌舞伎役者、元子役)である〔高沢, p.18.〕〔名鑑, p.6.〕〔''初代 市川 荒太郎''、文化デジタルライブラリー、日本芸術文化振興会、2013年7月2日閲覧。〕〔''市川荒五郎 (4代)''、デジタル版 日本人名大辞典+Plus, コトバンク、2013年7月2日閲覧。〕〔''市川荒五郎 (4代目)''、''jlogos.com'', エア、2013年7月2日閲覧。〕。本名・初期芸名市川 楠三郎(いちかわ なんざぶろう)、前芸名初代 市川 荒太郎(しょだい いちかわ あらたろう)〔〔〔。俳名は市眼(しがん)、屋号は三河屋(みかわや)〔。関西歌舞伎の敵役を得意とした役者として知られる〔〔。 == 人物・来歴 == 1861年4月15日(文久元年3月6日)、摂津国西成郡堂島桜橋南詰(現在の大阪府大阪市北区曽根崎新地)に生まれる〔〔〔〔。父は三代目市川荒五郎(1833年 - 1906年〔、2013年7月2日閲覧。〕)〔〔。弟にのちに横浜で人気を得た「ハマの團十郎」こと市川荒二郎(1870年 - 1935年、市川荒次郎とは異なる)がいる〔、2013年7月2日閲覧。〕。 数え年8歳になる1869年11月(明治2年旧暦10月)、大阪・稲荷座で本名の市川 楠三郎の名で出演、『殿下茶屋聚』(『天下茶屋』)の幸右衛門の息子役を演じ、初舞台に立つ〔〔〔〔〔。以来、大阪で出演を続ける〔〔。1875年(明治8年)、初代 市川 荒太郎に改名する〔〔〔。1880年(明治13年)、『殿下茶屋聚』(『天下茶屋』)の元右衛門を演じて、名題に昇進した〔〔。荒太郎の時代、1890年(明治23年)5月には、新富座で初代中村鴈治郎が佐々木盛綱を演じた『盛綱陣屋』に出演して信楽太郎を演じ、その姿を『近江源氏先陣館』として三代目歌川国貞が描いた錦絵が残っている〔近江源氏先陣館 、文化デジタルライブラリー、日本芸術文化振興会、2013年7月2日閲覧。〕。1897年(明治30年)、養子でのちの二代目市川荒太郎を子役の「市川保太郎」として初舞台に上げている〔高沢, p.19.〕〔市川荒太郎 、''jlogos.com'', エア、2013年7月2日閲覧。〕。 1906年(明治39年)2月24日、父の三代目市川荒五郎が亡くなったのを受け〔、同年9月、大阪・弁天座で『妙心寺』の明智を演じて、四代目 市川 荒五郎を襲名した〔〔〔〔〔。翌1907年(明治40年)9月には、弁天座で保太郎に二代目市川荒太郎を襲名させている〔〔。実子でのちの三代目市川荒太郎が生まれたのは、1912年(明治45年)のことであり、1916年(大正5年)には「市川たけを」の名で初舞台に上げている〔国立, p.560.〕〔市川荒太郎 (3代目) 、''jlogos.com'', エア、2013年7月2日閲覧。〕。『人気役者の戸籍調べ』(1919年)および『現代俳優名鑑』(1923年)によれば、当時は大阪市南区阪町69番地(現在の同市中央区難波)に住み、当たり役は、『神霊矢口渡』の頓兵衛、『時今也桔梗旗上』の明智光秀、『二蓋笠柳生実記』の大久保彦左衛門、『常盤松芽生源氏』の熊坂であった〔〔。松竹に属して弁天座あるいは八千代座に出演、満62歳当時は、身長五尺五寸(約166.7センチメートル)、体重十五貫匁(約56.3キログラム)であった〔。 1925年(大正14年)12月5日、養子の二代目市川荒太郎を喪う〔。その4年半後、1930年(昭和5年)5月17日、死去した〔〔〔。満69歳没。市川荒太郎の名跡は、1941年(昭和16年)2月に実子が三代目を継承したが〔、市川荒五郎の名跡は四代目の没以降、空白である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「市川荒五郎 (4代目)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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